2026年2月03日

ストレスで心が疲れる本当の理由~神経伝達物質とセロトニンの視点から精神科医が解説~
~神経伝達物質とセロトニンの視点から精神科医が解説~
- ストレス反応は段階的に起こり、ノルアドレナリン→セロトニン/ドーパミン→グルタミン酸の順で神経伝達物質が変化する
- 良いストレスと悪いストレスの違いは、一過性か慢性か、コントロール可能かどうかで決まる
- セロトニンは脳の部位によって不安を抑えたり増強したりする二面性を持つ
- 日光浴、リズム運動、深呼吸などで神経伝達物質のバランスを整えられる
「なんであの人は平気そうなのに、私はこんなにしんどいんだろう…」
精神科外来でよく聞かれる言葉です。同じ職場、同じような仕事量なのに、ケロッとしている人もいれば、心身ともに疲弊してしまう人もいます。この違いは、単なる「心の強さ」の問題なのでしょうか?
答えはNOです。
実は、ストレスに対する反応の個人差は、脳内の神経伝達物質のバランスと、その調整システムの違いによって科学的に説明できます。今回は、精神科医として日々患者さんと向き合う中で見えてきた「ストレスで心が疲れる本当のメカニズム」について、最新の神経科学の知見を交えながら解説します。
ストレス時に脳内で起こる神経伝達物質の変化
ストレスを感じた瞬間、まず最初に反応するのがノルアドレナリンです。
例えば、上司から急に「ちょっといいか」と呼ばれた瞬間を想像してください。心臓がドキッとして、背筋がピンと伸びる。これがノルアドレナリンの仕業です。青斑核という脳の部位から急速に放出され、心拍数の上昇、血圧の上昇、覚醒度の急上昇、注意力の一点集中といった変化を引き起こします。
これ自体は悪いことではありません。むしろ、危機に対応するための「戦うか逃げるか(fight or flight)」反応として、私たちの祖先が生き延びるために獲得した大切なシステムです。
次に反応するのが、セロトニンとドーパミンといったモノアミン系の神経伝達物質です。
セロトニンは特に興味深い物質で、「幸せホルモン」として知られていますが、実はストレス時には複雑な働きをします。前頭前野では不安を抑える方向に働きますが、扁桃体では逆に不安を増強することもあります。全体としては、ストレス反応を「調整」する役割を担っています。
一方、ドーパミンは報酬系に関わる物質で、ストレス直後は一時的に増加しますが、その後減少するという二相性の反応を示します。これが「やる気が出たり出なかったりする」原因の一つです。
最後に、グルタミン酸という興奮性の神経伝達物質が増加し、特に前頭前野や海馬(記憶の中枢)でシナプス伝達が強化されます。
これと同時に、コルチゾール(ストレスホルモン)も分泌され、遺伝子発現にまで影響を与えます。つまり、強いストレスは文字通り「脳の配線を変えてしまう」可能性があるのです。
ストレス反応の3段階:警報(数秒〜数分)→感情の揺らぎ(数分〜数十分)→記憶・学習への影響(10分以降)
適度なストレスは、実はパフォーマンス向上に役立ちます。ノルアドレナリンが一過性に適度に上昇すると集中力がアップし、ドーパミンの報酬予測が活性化するとモチベーションが上がります。セロトニンは適切な調整機能を発揮し、グルタミン酸は学習・記憶を促進します。
締切前の適度なプレッシャーやスポーツの試合前の緊張、新しいチャレンジへの不安と期待などは、終わった後に「やってよかった」「成長できた」という感覚をもたらします。
一方、過剰または慢性的なストレスは脳にダメージを与えます。ノルアドレナリンが慢性的に過剰分泌されると枯渇を招き、ドーパミンの報酬系機能が低下すると無気力になります。セロトニンの調整機能が破綻するとうつや不安が生じ、グルタミン酸が過剰に興奮すると神経毒性を示すことがあります。
終わりの見えない過重労働、継続的な人間関係のストレス、経済的不安の長期化などがこれに該当します。
ポイント:ストレスが「良い」か「悪い」かは、一過性か慢性か、コントロール可能かどうか、成長につながるかどうかで判断できます。
うつ病や不安障害の治療でよく使われるSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)。「飲み始めてすぐには効かない」「最初はむしろ不安が強くなることがある」という話を聞いたことはありませんか?
これには神経科学的な理由があります。
SSRIを飲むと、シナプス間隙のセロトニン濃度が急激に上昇します。しかし、これが扁桃体や延長扁桃体(BNST)のCRF神経回路を刺激し、一時的に不安を増強してしまうことがあります。
「薬を飲んでるのに悪化した!」と感じる患者さんがいるのはこのためです。
その後、以下のような適応が起きます:5-HT1A受容体の感受性が変化し、BDNFなどの神経栄養因子が増加して神経可塑性が改善します。炎症性サイトカインが低下し、前頭前野-辺縁系の接続が改善されます。
これらの変化には時間がかかるため、「効果を実感するまで最低2-4週間は続けてください」とお伝えしています。効果には個人差があり、担当医とよく相談しながら治療を進めることが大切です。
セロトニンは非常に複雑な働きをする物質です。「セロトニンを増やせば幸せになれる」という単純な話ではありません。
不安を抑制する部位として、前頭前野(特に前頭前皮質)や背側縫線核の5-HT1A自己受容体があります。一方、不安を増強する可能性がある部位として、扁桃体の特定の回路や延長扁桃体(BNST)のCRF産生神経が挙げられます。
セロトニン受容体は14種類以上のサブタイプがあり、それぞれ異なる作用を持ちます。5-HT1A受容体は主に抗不安作用を示し、5-HT2A受容体は興奮性で時に不安を増強します。5-HT2C受容体は食欲や睡眠に関与します。
だからこそ、「セロトニンのバランス」が重要なのです。
まず、今あなたが感じているストレスが「ユーストレス」なのか「ディストレス」なのかを判断しましょう。
ユーストレスのサイン:終わりが見えている、自分でコントロールできる部分がある、成長の機会と感じられる
ディストレスのサイン:慢性的で終わりが見えない、コントロール感がない、消耗感ばかりで達成感がない
朝の日光浴(15-30分)は、セロトニン合成のスイッチをONにし、体内時計をリセットします。リズム運動(ウォーキング、ジョギング、ダンス)は、一定のリズムがセロトニン神経を活性化します。また、セロトニンの90%は腸で作られるため、腸内環境の改善(発酵食品、食物繊維の摂取)も効果が期待できます。
深呼吸・瞑想は、4-7-8呼吸法(4秒吸って、7秒止めて、8秒吐く)などで交感神経の過剰な活性化を抑制します。また、段階的なタスク分解で大きなストレスを小さく分割し、達成可能な目標を設定することも有効です。
小さな達成感の積み重ね(ToDoリストのチェック、進捗の可視化)や、報酬の先延ばし訓練(すぐの満足より長期的な満足を選ぶ練習)が効果的です。
日常でできるストレス対策:朝の日光浴・リズム運動・深呼吸・腸内環境改善
以下のような症状が2週間以上続く場合は、専門医への相談を検討してください:
身体症状:不眠または過眠、食欲の極端な変化、原因不明の体の痛み、極度の疲労感
精神症状:持続的な不安や恐怖、興味や喜びの喪失、集中力の著しい低下、死にたい気持ち
行動面の変化:社会的引きこもり、アルコールや薬物への依存傾向、自傷行為
注意:上記の症状がある方は、無理をせず早めに専門家にご相談ください。適切な治療により、多くの方で症状の改善が期待できます。
ストレスで心が疲れる本当の理由は、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れ、その調整システムが機能不全を起こすことにあります。
重要なポイントをまとめると:ストレス反応はノルアドレナリン→セロトニン/ドーパミン→グルタミン酸と段階的に起こること、良いストレスと悪いストレスの違いは一過性か慢性か・コントロール可能かどうかで決まること、セロトニンは部位と受容体により作用が異なる二面性を持つこと、薬の効果には脳の適応に2-4週間必要なこと、そして日光・運動・呼吸・小さな達成感で神経伝達物質のバランスを整えられることです。
「心の強さ」は生まれつきのものではありません。脳の仕組みを理解し、適切な対処法を身につけることで、誰もがストレスと上手に付き合えるようになります。
一人で抱え込まず、必要な時は専門家の力を借りることも、賢明な選択です。あなたの脳は、適切なサポートがあれば必ず回復する力を持っています。
A. ストレスに対する反応の個人差は、脳内の神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなど)のバランスと、その調整システムの違いによって科学的に説明できます。遺伝的要因や過去の経験、現在の生活習慣なども影響します。
A. SSRIは投与後すぐにセロトニン濃度を上昇させますが、実際の効果発現には受容体の感受性調整、神経可塑性の改善(BDNFなどの神経栄養因子の増加)、前頭前野-辺縁系の接続改善などの適応変化が必要です。これらの変化には2〜4週間程度かかります。
A. セロトニンは脳の部位によって異なる作用を示します。前頭前野では主に不安を抑制しますが、扁桃体や延長扁桃体(BNST)の特定の回路では不安を増強することがあります。また、14種類以上ある受容体サブタイプによっても作用が異なるため、バランスが重要です。
A. 良いストレス(ユーストレス)は一過性で終わりが見え、コントロール可能で成長の機会となります。悪いストレス(ディストレス)は慢性的で終わりが見えず、コントロール感がなく消耗感が続きます。これが続くと神経伝達物質のバランスが崩れ、心身に悪影響を及ぼします。
A. 不眠や食欲の極端な変化、持続的な不安や恐怖、興味や喜びの喪失、集中力の著しい低下などの症状が2週間以上続く場合は、専門医への相談を検討してください。早めの相談が回復への近道です。
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- McEwen BS, Akil H. (2020) “Revisiting the Stress Concept: Implications for Affective Disorders.” J Neurosci. 40(1):12-21. DOI: 10.1523/JNEUROSCI.0733-19.2019
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- Popoli M, et al. (2011) “The stressed synapse: the impact of stress and glucocorticoids on glutamate transmission.” Nat Rev Neurosci. 13(1):22-37. DOI: 10.1038/nrn3138
- Noetel M, et al. (2024) “Effect of exercise for depression: systematic review and network meta-analysis of randomised controlled trials.” BMJ. 384:e075847. DOI: 10.1136/bmj-2023-075847
片山 渚 医師
五反田ストレスケアクリニック院長
精神保健指定医
日本医師会認定産業医
産業保健法務主任者(メンタルヘルス法務主任者)
健康経営アドバイザー
大学病院から民間病院まで幅広い臨床経験を活かし、患者さんが安心して治療を継続できるよう、わかりやすい情報提供を心がけています。