2025年8月11日

「最近ストレスで体調が悪い」「ストレスが溜まって眠れない」-こんな言葉を日常的に使っていませんか?私たちが「ストレス」と呼んでいるものの正体は何でしょうか。実は、ストレスに対する身体の反応には、HPA系(視床下部-下垂体-副腎系)という精巧なシステムが関わっています。
精神科医として日々患者さんと向き合う中で、ストレスが単なる「気の持ちよう」ではなく、明確な生物学的メカニズムを持つ現象であることを理解していただくことの重要性を感じています。今回は、ストレスの基礎知識とHPA系の仕組みについて、最新の研究知見を交えながら分かりやすく解説します。
ストレスという言葉は、もともと物理学の用語で「物体に加わる圧力」を意味していました。1936年、カナダの生理学者ハンス・セリエが、この概念を生物学に応用し、「外部からの刺激に対する生体の非特異的反応」として定義しました。

現代的な定義では、ストレスは「知覚された課題や要求に対する複雑な心理的・生理的反応」であり、様々な感情的、行動的、身体的症状によって特徴づけられます。重要なのは、ストレスが「知覚された」ものである点です。同じ状況でも、人によってストレスと感じるかどうかは異なります。
ストレスは必ずしも悪いものではありません。適度なストレス(ユーストレス)は、パフォーマンスの向上や成長の機会となります。問題となるのは、過度で慢性的なストレス(ディストレス)です。
ストレッサーとストレス反応
ストレスを理解する上で重要な概念が2つあります:
- ストレッサー:ストレスを引き起こす刺激や状況(仕事のプレッシャー、人間関係の葛藤、経済的困難など)
- ストレス反応:ストレッサーに対する心身の反応(心拍数の上昇、不安感、頭痛など)
ストレスは、その持続時間と頻度によって主に3つのタイプに分類されます。それぞれの特徴を理解することで、適切な対処法を選択できます。
1. 急性ストレス
急性ストレスは最も一般的なタイプで、特定の出来事や圧力に対する短期的な反応です。例えば:
日常生活での急性ストレスの例:
例:プレゼンテーション前の緊張、締め切り直前の焦り、交通渋滞でのイライラ、初対面の人との会話での緊張
急性ストレスは通常、状況が解決されると自然に収まります。むしろ、適度な急性ストレスは集中力を高め、パフォーマンスを向上させる効果があります。これが「ユーストレス(良いストレス)」と呼ばれる所以です。
2. 慢性ストレス
慢性ストレスは、数日から数年にわたって継続的なストレッサーを経験する場合に発生します。これは健康に最も深刻な影響を与えるタイプのストレスです。
- 長期的な経済的困難
- 慢性的な病気や痛み
- 機能不全な家族関係
- 職場でのハラスメントや過重労働
- 介護による長期的な負担
慢性ストレスは、HPA系の持続的な活性化により、高血圧、心疾患、糖尿病、うつ病、不安障害などの発症リスクを高めます。早期の介入が重要です。
3. エピソード性急性ストレス
エピソード性急性ストレスは、急性ストレスが頻繁に繰り返される状態です。常に時間に追われ、次から次へと締め切りに追われるような生活を送っている人に見られます。
このタイプのストレスを経験する人の特徴:
- 常に急いでいるが、遅れがち
- 多くの責任を抱えすぎている
- 「いつも何かに追われている」感覚
- 緊張性頭痛や片頭痛を頻繁に経験
HPA系(Hypothalamic-Pituitary-Adrenal axis)は、ストレス反応を制御する主要な神経内分泌系です。この系は3つの重要な器官から構成されています。

1. 視床下部(Hypothalamus)
視床下部は脳の基底部に位置し、ストレスの主要なセンサーとして機能します。ストレスを感知すると、視床下部の室傍核(PVN)からCRH(コルチコトロピン放出ホルモン)が分泌されます。
視床下部の重要な機能:
- 感情的・身体的ストレスの統合
- 概日リズムの調整
- 自律神経系との連携
2. 下垂体(Pituitary gland)
下垂体は「マスター腺」とも呼ばれ、CRHの刺激を受けてACTH(副腎皮質刺激ホルモン)を血中に放出します。
下垂体前葉は全体の約80%を占め、以下のホルモンも分泌します:
例:成長ホルモン(GH)、プロラクチン(PRL)、甲状腺刺激ホルモン(TSH)など。これらもストレスの影響を受けます。
3. 副腎(Adrenal glands)
腎臓の上に位置する副腎は、皮質と髄質の2つの部分から構成されています:
- 副腎皮質:ACTHに反応してコルチゾール(ストレスホルモン)を分泌
- 副腎髄質:アドレナリンとノルアドレナリンを分泌し、「闘争・逃走反応」を担当
ストレスに遭遇すると、身体は瞬時に「闘争・逃走反応(fight-or-flight response)」を開始します。これは進化の過程で獲得した生存メカニズムです。
ストレス反応の時系列
- 即時反応(数秒):交感神経系が活性化し、副腎髄質からアドレナリンが放出
- 初期反応(数分):視床下部がCRHを分泌
- 中期反応(15-30分):下垂体からACTHが放出
- 持続反応(30分以降):副腎皮質からコルチゾールが分泌
コルチゾールの主な作用
コルチゾールは「ストレスホルモン」として知られていますが、実は生命維持に不可欠なホルモンです:
- エネルギー動員:血糖値を上昇させ、脳と筋肉にエネルギーを供給
- 抗炎症作用:過剰な炎症反応を抑制
- 記憶形成:海馬での記憶固定に関与(適度な量の場合)
- 血圧調整:血管の感受性を高め、血圧を維持
コルチゾールは朝に最も高く、夜に最も低いという日内リズムを持っています。このリズムが乱れると、不眠や疲労感の原因となります。
急性ストレス時の身体変化
ストレス反応により、以下のような身体変化が起こります:
- 心拍数・血圧の上昇
- 呼吸の速さと深さの増加
- 瞳孔の散大(視野を広げる)
- 筋肉への血流増加
- 消化機能の一時的な抑制
- 免疫系の一時的な活性化
HPA系の最も重要な特徴の一つが、ネガティブフィードバック機構です。これは、コルチゾール濃度が上昇すると、その情報が視床下部と下垂体にフィードバックされ、CRHとACTHの分泌を抑制する仕組みです。
フィードバック機構の重要性
このフィードバック機構により:
- 過剰反応の防止:コルチゾールが必要以上に上昇しないよう制御
- ホメオスタシスの維持:ストレスが去った後、速やかに平常状態に戻る
- エネルギーの節約:不必要なストレス反応を防ぎ、エネルギーを温存
フィードバック機構の破綻
慢性ストレスでは、このフィードバック機構が正常に機能しなくなることがあります:
フィードバック機構の障害が起こると:
例:コルチゾール受容体の感受性低下→フィードバックが効かない→コルチゾールの過剰分泌→うつ病、不安障害、メタボリックシンドロームなどのリスク上昇
まとめ:ストレスとHPA系の理解が治療への第一歩
今回は、ストレスの基本的な概念とHPA系の仕組みについて解説しました。重要なポイントをまとめると:
- ストレスは「知覚された課題に対する心身の反応」である
- ストレスには急性・慢性・エピソード性の3つのタイプがある
- HPA系(視床下部-下垂体-副腎系)がストレス反応を制御している
- コルチゾールは生命維持に必要だが、過剰は健康を害する
- ネガティブフィードバック機構により、通常は自動的に調整される
次回は、「ストレスの原因と個人差」について、なぜ同じ状況でも人によってストレス反応が異なるのか、幼少期の体験やHPA系の感受性の違いなどを詳しく解説します。
監修・執筆者
片山 渚 医師
五反田ストレスケアクリニック院長
- ✓ 精神保健指定医
- ✓ 日本医師会認定産業医
- ✓ 産業保健法務主任者(メンタルヘルス法務主任者)
- ✓ 健康経営アドバイザー
大学病院から民間病院まで幅広い臨床経験を活かし、患者さんが安心して治療を継続できるよう、わかりやすい情報提供を心がけています。
免責事項
本記事は一般的な情報提供を目的としており、特定の症状や状況に対する医学的アドバイスではありません。医療に関する決定は、必ず医師と相談の上で行ってください。本記事の情報に基づいて被ったいかなる損害についても、当院は責任を負いかねます。
参考文献
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